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名古屋高等裁判所 平成7年(ネ)808号 判決 1996年12月19日

控訴人(被告)

株式会社万屋薬品

右代表者代表取締役

石熊晃

右訴訟代理人弁護士

室木徹亮

被控訴人(原告)

万屋食品株式会社

右代表者代表取締役

畑中幹生

右訴訟代理人弁護士

村田正人

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文一項と同旨

第二  事案の概要

本件は、被控訴人が控訴人に対し、主位的に、平成五年五月一九日法律四七号による改正前の不正競争防止法(以下「旧法」という。)一条一項二号に基づき、三重県内で周知な被控訴人の商号「万屋食品株式会社」と類似する商号「株式会社万屋薬品」を控訴人が使用して被控訴人の営業活動と誤認を生じさせ、これにより被控訴人は営業上の利益を害され、あるいは害されるおそれが生じているとして、控訴人の商号の使用の差止めと控訴人の商号登記の抹消登記手続とを求め、予備的に、商法一九条、二〇条一項、二一条に基づき、右同旨の差止め及び抹消登記手続を求めた事案である。

控訴人は被控訴人の請求を全面的に争ったが、原審は被控訴人の主位的請求を全部認容したため、控訴人がその取消しと被控訴人の請求の棄却とを求めて控訴を申し立てたものである。

(なお、旧法一条一項二号の規定は、前記改正後の不正競争防止法(以下「新法」という。)二条一項一号、三条一項の該当部分に引き継がれ、両者は同趣旨のものと解されるから、新法附則二条本文の規定により、本件については新法の右規定が適用されることになる。したがって、以下においては、新法二条一項一号、三条一項の規定に基づき、請求の当否を判断することとする。)

一  争いのない事実等

原判決「事実及び理由」欄第二の一に記載のとおりであるから、これを引用する。

二  中心的争点

原判決「事実及び理由」欄第二の二に記載のとおりであるから、これを引用する。

三  争点に関する当事者双方の主張

1  被控訴人の主張

(一) 不正競争防止法(新法)二条一項一号、三条一項に基づく主位的請求について

(1) 被控訴人の商号の周知性

被控訴人は、設立以来「万屋食品株式会社」の商号及び「万屋」という営業表示で営業してきた。「万屋」という営業表示は、被控訴人代表者の祖父畑中万次郎が、明治三五年ころに、自己の名前の「万」を取って「万屋」と名付けた酒類、調味料、飲料等の小売商を開いたことに始まる。この営業表示及び営業が右万次郎から、その子利助、孫の幹生へと引き継がれ、幹生が昭和三三年に家業を「万屋食品株式会社」の商号の下に会社組織にして今日に至っている。

万屋商店は、昭和二四年から「嘗め味噌」の「さい味噌」の製造、販売を始め、これを三重県中南勢を始め、四日市市、員弁郡阿下喜町、名古屋市、岐阜市の卸問屋や小売店に販売していた。その後、被控訴人は調味料のみならず、食品、飲料水を営業品目とし、現在の被控訴人の営業区域は、三重県下全域に及び、志摩郡阿児町には志摩営業所が設置されており、被控訴人の商号及び「万屋」の営業表示は、右営業地域において周知のものとなっている。すなわち、遅くとも控訴人が組織変更した平成三年九月三〇日当時には、卸売区域としては三重県内の津、亀山、名張、紀勢町、南島町、志摩郡一帯、鳥羽市に合計一〇〇〇軒程の取引業者(食品の小売業者)があり、被控訴人の商号や営業表示が広く認識され、小売区域としては伊勢市、志摩郡、度会郡、鳥羽市一円においてそれが広く認識されている。

なお、被控訴人は、問屋センターにおいても一般消費者へ食品全般、飲料水等の販売をしており、また志摩営業所においても、酒類小売免許に基づき酒類、食品の小売をしている。

(2) 商号の類似性

被控訴人の商号「万屋食品株式会社」中の「食品」は業種を示すだけで、他の会社との識別機能を有しないから、「万屋」の部分が重要である。一方、控訴人の商号「株式会社万屋薬品」中の「薬品」は業種を示すだけで、他の会社との識別機能を有しないから、やはり「万屋」の部分が重要である。控訴人の商号は、「万屋」という要部において被控訴人の商号と同一であり、全体としての被控訴人の商号又はその営業表示である「万屋」と類似している。

(3) 営業主体の混同

控訴人は医薬品、健康食品、調理食品、酒類等の販売等を目的とした会社であるところ、被控訴人の営業目的との間で競合関係に立つものが多いことから、営業主体が同一であると誤認されている。

(4) 被控訴人は卸売が中心であるが、取引業者からは、取引業者には高く商品を売りつけておきながら、他方では系列会社である控訴人を通じて採算割れの価格で廉売する背信的商法をしていると非難され、顧客の信用を失う事態が生じている。したがって、控訴人の商号使用により被控訴人の営業上の利益が害され、あるいは害されるおそれのあることは明らかである。

(二) 商法一九条、二〇条一項、二一条に基づく予備的請求について

右(一)の(1)から(4)までの事実によれば、控訴人は、被控訴人の営業と誤認混同させることを十分に認識し、かつ、その意向をもって不正な競争の目的及び不正の目的で被控訴人の商号と類似する商号を使用し、このため、被控訴人の営業との誤認混同を生じさせ、これにより被控訴人が営業上の利益を現に害され、今後ともそのおそれは増大するものというべきである。

(三) 信義則違反ないし権利濫用についての控訴人の主張に対する反論

(1) 控訴人代表者の畑中玲子は、被控訴人代表者の畑中幹生の養子康隆と昭和三七年ころに結婚した。幹生は、康隆及び玲子が康隆の薬種商の資格を利用して薬店を開くのを応援し、店の名前も、畑中薬品とするより知名度の高い万屋の名前を貸してほしいと康隆に言われ、二人の幸せのためにと思い、「万屋薬品」とすることを許諾した。

(2) 康隆・玲子夫婦は、二児をもうけ、円満に薬屋を営んでいたが、石熊晃の出現により様相は一変した。石熊が右薬屋の経営に介入するようになり、康隆が同店から疎外され、夫婦の仲も崩れて行った。そして、石熊は有限会社とした万屋薬品の代表取締役となって経営を掌握するに至り、康隆と玲子との夫婦関係は一気に冷たくなって性交渉もなくなり、玲子から離婚の申出がされる事態になった。そこで康隆は、玲子に対し、二人の結婚生活の継続を前提として許諾を得た「万屋」の屋号を返すことを離婚の条件として提示し、玲子もこれに同意した。

(3) 康隆と玲子の離婚話しが出ていた昭和六二年一〇月ころ、幹生と康隆・玲子とが話し合った際、幹生から、両名に対し、万屋薬品は、二人のために名付けて応援もしてきた店名であるから、離婚となり、新しい人が店をやっていくのであれば、万屋の名を変えるよう申入れをしたところ、両名ともこれを了承した。さらに、昭和六三年二月ころにも、玲子はこれを承諾していた。

そして、その後幹生が玲子に「万屋」の名を変えるよう求めたのに対しても、玲子は、出店先の店名から変えていく旨返事をしていた。

さらに平成元年九月ころには、玲子は、現在株式会社にするための準備をしているから、株式会社に変える時に万屋の名前を変えると返事をしていた。

(4) 以上の経緯で、控訴人代表者の玲子と被控訴人代表者の幹生との間で、万屋の商号を変えることについて合意が成立しているのであるから、信義則違反ないし権利濫用をいう控訴人の主張は理由がない。

2  控訴人の主張

(一) 不正競争防止法違反の主張について

(1) 周知性について

被控訴人が製造、販売していた「さい味噌」は、売れたのは昭和四〇年ころまでで、購入先も限られており、このために「万屋食品」の名が伊勢市を中心にした地域に広まったということはない。

被控訴人は、昭和四九年から、小売部も伊勢市上地町にある「問屋センター」内に移転し、そこで営業をしている。その場所は伊勢市の中心街から遠く離れており、「問屋センター」内の各問屋は各小売店を回って注文を取り、その上で商品を配送するという形態を取っている。したがって、ここを訪れるのはわずかな小売業者であって、一般の消費者が訪れることはほとんどなく、忘れられた存在である。

さらに、昭和五六年に被控訴人が志摩郡阿児町に開設した志摩営業所も、同町の中心街から遠く離れた場所にあり、また、ここでの業務も、主として旅館、民宿、スナックに酒類を卸す仕事であって、一般の消費者が訪れることはほとんどない。

(2) 商号の類似性について

「食品」と「薬品」は、取り扱う商品が全く異なる別個の業種であり、被控訴人の商号に周知性がないことからすれば、両者は別々の企業と考えるのが一般の考えである。

「万」は多いことを意味し、「○○屋」とは商売人が最も好んで使う屋号であるから、「万屋」という屋号は、独創性、奇抜性のあるものではない。

控訴人は、法人化する前の昭和四〇年ころから今日まで変わりなく、伊勢市の中心街である一之木を本店として薬店を続けている。一方、被控訴人は、昭和四九年からは伊勢市の中心街から遠く離れた場所で、酒類、味噌、醤油の卸を中心に営業をしている。したがって、このような経営の実情から、両者が異なる主体であることは、それぞれの取引先及び一般消費者に容易に理解できるところである。

以上の事情を全体的に観察するならば、両者の商号は類似していないと判断すべきである。

(3) 営業主体の混同のおそれについて

被控訴人が取り扱う飲料水で、控訴人と競合するものはごく限られたものであり、製造元まで同じ商品を両者が取り扱っていることはほとんどないといってよい。

控訴人は、牛虎チェーンが控訴人を被控訴人の支配会社と誤認したとしているが、昭和五八年に控訴人がスーパー牛虎内に二見店を開設して以降、「牛虎」は控訴人と緊密な関係を有している。したがって、「牛虎」が控訴人を被控訴人の支配会社と誤認するはずがない。

原判決は、「牛虎」以外の多数の取引先も控訴人を被控訴人の支配会社と誤認していると認定しているが、具体的な主張もないし、客観的な証拠もない。

また、「食品」と「薬品」とは全く異なった業種で、控訴人も昭和四〇年ころから伊勢市一之木で薬店を続けてきたことから、被控訴人の取引先が控訴人を被控訴人の支配会社と誤認するはずがない。

(二) 商法違反の主張について

(1) 商号の類似性

右(一)の(2)に主張したとおり、両者の商号は類似していない。

(2) 営業の同一性

右(一)の(3)に主張したとおり、両者の営業の同一性は全くない。

(3) 不正(競争)の目的

控訴人は、売上高、宣伝広告費、店舗数、営業範囲等いずれをとっても被控訴人をはるかに凌駕しているものであるから、控訴人が不正競争の目的で「万屋薬品」の商号を使用しているものでないことは明らかである。

(三) 信義則違反ないし権利濫用(両請求に対する答弁)

(1) 畑中玲子ないし法人としての控訴人は、昭和三九年から「万屋薬品」という商号で今日まで営業を続けている。このことを被控訴人は十分認識しながら、ごく最近まで異議を全く唱えていない。したがって、今になって商号の使用禁止を求めるのは信義則違反ないし権利の濫用であるから、許されるべきではない。

(2) 原判決は、被控訴人が「万屋薬品」の商号を使用することを許諾したのは、康隆・玲子夫婦が控訴人(万屋薬品)を経営し、控訴人が被控訴人と競合関係に立たない営業をすることを前提にしたものであったと認定している。

しかし、当時康隆は被控訴人の幹部役員であったから、万屋薬品の経営に参加できないことは幹生も承知の上である。万屋薬品は、有限会社に組織変更後、被控訴人からウーロン茶等の健康飲料及び醤油等を仕入れて販売していたから、原判決の右認定は事実に反する。

(3) 原判決は、また玲子は幹生に対し、康隆と離婚すれば有限会社万屋薬品の商号を使用せず、これを他の商号に変える旨約したと認定している。

しかし、離婚に関しては、玲子と石熊との間に不倫関係など全くなく、康隆は私生活が乱れて、幹生からも疎んじられた存在であったから、二人の離婚は幹生にとっても異存のないところであった。また、昭和六三年といえば、玲子や石熊の努力が実りつつあった大切な時期であり、玲子の一存で「万屋薬品」の商号を放棄できるはずもない。

第三  証拠関係

<本件記録中の原審及び当審における証拠に関する目録の記載を引用する。>

第四  当裁判所の判断

一  まず、主位的請求である不正競争防止法に基づく請求について判断する。

1  被控訴人の商号の周知性の有無について

(一) 証拠(甲一、甲三、甲一七の1ないし3、甲三四、甲三六、乙四六、原審及び当審証人畑中伸一、当審証人畑中玲子、原審における被控訴人代表者畑中幹生、当審における控訴人代表者石熊晃)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 被控訴人の商号の起源は、明治時代に、幹生及び玲子の祖父の畑中万次郎が自己の名の「万」を取って「万屋商店」と名付けた味噌、醤油等の調味料、酒類、飲料等の小売店を、三重県伊勢市一之木において開業したことに遡る。この営業及び営業表示が、万次郎からその子利助、その孫幹生と引き継がれ、幹生が昭和三三年にその営業を「万屋食品株式会社」の商号の下に法人化し、現在に至っている。

(2) 法人化する前の万屋商店は、昭和二四年ころから、漬けたなすなどを細かく切って味噌の中に入れた「さい味噌」を製造、販売するようになり、一時は桑名でも「さい味噌」を製造、販売し、これを三重県中南勢を始め、四日市市、員弁郡阿下喜町、名古屋市、岐阜市などにも広く販売していた。さい味噌は、昭和四〇年ころまではよく売れたが、その後は次第に販売量が減って行き、被控訴人は、それに連れて味噌・醤油等の調味料、酒類、ジュース・お茶等の飲料水、食品等の小売を主たる営業とするようになって行った。

(3) 被控訴人は、法人化する直前ころに卸部を作り、卸と小売の双方の営業をしていたが、昭和四四年に卸部を伊勢市上地町にある「問屋センター」内に移転した(そこが現在の本店所在地である。)。そして、昭和四九年には小売部も右本店に移転し、昭和五六年には志摩郡阿児町に志摩営業所を設置し、この二店舗で前記の各商品の卸及び小売をするに至った。

平成三年ころの卸売の範囲は、主として三重県内の津市、亀山市、名張市、紀勢町、南島町、志摩郡一帯、鳥羽市などであり、これらの地域に約一〇〇〇軒の取引先(食品の小売業者)を有している。他方、小売の需要者(一般消費者)は、店舗のある伊勢市、志摩郡阿児町やその周辺が中心である。

そして、平成三年以降の被控訴人の年間売上は、おおむね一〇億円から一一億円程度となっている。

なお、被控訴人は最近、度会郡玉城町に三店目の店舗を設置した。

(4) 一方、控訴人は、平成七年一月末の時点において、北は三重県内の津市から南は度会郡南勢町までの地域に店舗を設置して、いわゆる「ドラッグストア」として医薬品、化粧品、食品(飲料水、調味料を含む。)、雑貨等を販売している。控訴人は、平成七年九月の原判決言渡後さらに九店程の店舗を新たに設置して現在二一店舗を擁しており、その店舗設置場所は北は四日市市、南は度会郡紀伊長島町までの範囲となっている(後記3の(一)(5)の認定事実参照)。

(二) 右認定の事実に、後記認定のように、現に被控訴人の取引先や一般消費者に控訴人との間で営業主体の混同が生じていることを併せると、被控訴人の商号は、遅くとも控訴人が株式会社に組織変更された平成三年当時においては、取引者の間では、三重県内の北は津市から南は志摩郡や度会郡までの地域及びその周辺において、また一般消費者の間では、伊勢市や志摩郡阿児町やその周辺において、周知性を有していたものと認めるのが相当である。乙四六、乙四七、乙四九、当審証人畑中玲子の証言、控訴人代表者石熊晃の当審供述中右認定に反する部分は、その他の各証拠に照らして採用できない。また、甲三八の2、乙二八ないし乙三二も、右認定を左右するに足りない。

そうすると、被控訴人の商号は、右時点において、控訴人の営業地域において周知性を有していたものと認めることができる。

2  控訴人の商号と被控訴人の商号との類似性の有無について

当裁判所も、控訴人の商号「株式会社万屋薬品」は、被控訴人の商号「万屋食品株式会社」と類似するものと判断する。その理由は、原判決四枚目表初行「考察すると」の下に「、取引者や一般消費者が、両者の外観、呼称、観念に基づく印象等から、両者を全体として類似のものとして受け取るおそれが極めて強いから」を加えるほか、原判決がその「事実及び理由」欄第三の一2(原判決三枚目裏七行目から同四枚目表二行目まで)において説示するところと同一であるから、これを引用する。

3  営業主体の混同のおそれ及び営業上の利益を害されるおそれの有無について

(一) 前記争いのない事実に証拠(甲二、甲三、甲三七の1ないし3、甲五四、甲五八、甲五九、甲六二、乙一ないし乙七、乙八の1ないし8、乙九の1ないし5、乙一一、乙四六、乙四七、乙六三、原審証人山本康隆、原審及び当審証人畑中伸一、原審における控訴人代表者畑中玲子、当審証人畑中玲子、当審における控訴人代表者石熊晃)及び弁論の全趣旨を併せると、次の事実を認めることができる。

乙四六、乙四七、控訴人代表者畑中玲子の原審供述、当審証人畑中玲子の証言、控訴人代表者石熊晃の当審供述中この認定に反する部分は、他の各証拠に照らして採用できない。また、乙二九ないし乙三一、乙三四ないし乙四四も、乙五一の1、2、乙五二も、この認定を左右するに足りない。

(1) 玲子は、夫の康隆とともに、康隆の発案で、昭和四〇年ころから、伊勢市一之木一丁目の被控訴人の倉庫となっていた建物を借り、「万屋薬品」の店名で薬品の小売業を始めた(この場所が現在でも控訴人の本店所在地である。)。当時扱っていた商品は、薬品以外には、医薬品ドリンク、健康ドリンク等のドリンク類、トイレ用品、洗剤等の日用雑貨等であった。当初は康隆も万屋薬品を手伝うことがあったが、その後は玲子が一人で店を切り盛りする状態となった。

なお、康隆は、玲子と結婚した昭和三七年以来被控訴人に勤務していた。

(2) 万屋薬品は、昭和五七年ころから、取引先である大正薬品に勤めていた石熊の指導で、チラシ等をまいて宣伝し、安く商品を販売する方策を取るようになり、次第に効果を上げるようになった。そこで、玲子及び石熊の意思が合致し、石熊が勤務先を退職して万屋薬品の経営に参加することになった。石熊の経営参加については、康隆及び幹生も同意し、万屋薬品は、昭和五八年二月有限会社組織とされ(商号は「有限会社万屋薬品」とされた。)、玲子と石熊が代表取締役に就任し、康隆も取締役になった。しかし、康隆は実際には同会社の経営には全く関与していなかった。

(3) 有限会社万屋薬品は、石熊が経営に本格的に参画した後、同人の経営方針及びリーダーシップに基づき次第に事業を拡大し、売上を増加させて行ったが、昭和六二年二月一日から昭和六三年一月三一日までの事業年度における売上は約五億七〇〇〇万円(一〇〇〇万円未満切り捨て。控訴人及び被控訴人の年間売上額について以下同じ。)で、その当時は本店のほか、二見店(度会郡二見町)及び小木店(伊勢市小木町)を設けていた。その後も、支店を逐次増加させ、それとともに売上も増加し、扱う商品の幅も広がって行き、昭和六〇年ころから、被控訴人の販売する商品と競合するウーロン茶等の飲料水、醤油等の調味料等も扱うようになり、後記のような被控訴人との軋轢が発生することになった。

(4) 昭和六二年七月、康隆は、玲子の求めにより有限会社万屋薬品の取締役を辞任した。そして、同年秋には、玲子は康隆との離婚を決意してその旨康隆に申し出、二、三か月の話合いを経て、両名は昭和六三年一月五日離婚届出をして離婚した。

(5) 有限会社万屋薬品は、平成三年九月三〇日、株式会社に組織変更して、現在の控訴人(商号は「株式会社万屋薬品」)になった。そして、石熊と玲子が控訴人の代表取締役に就任して現在に至っている。

平成五年二月一日から平成六年一月三一日までの事業年度における控訴人の売上は約二二億二〇〇〇万円、平成六年二月一日から平成七年一月三一日までの事業年度における売上は約二九億七〇〇〇万円となっている。

平成七年一月三一日現在、控訴人の店舗は、前記の本店、二見店及び小木店のほかに、小俣店(度会郡小俣町)、津柳山店(津市大字津興字柳山)、ヴィクトリー店(伊勢市勢田町)、センターパレス店(津市大門)、五ケ所店(度会郡南勢町)、久居店(久居市新町)、松阪店(松阪市下村町)、津北店(津市一身田町)、一六六号店(松阪市田村町)が設置されている。

そして、平成七年九月の原判決言渡の後平成八年八月一日までの一年弱の間に、控訴人はさらに九店程の新店舗を開設し、平成八年八月一日現在で、北は三重県四日市市から南は同県度会郡紀伊長島町までの地域に合計二一店舗を設置して営業している状態となっているが、現在の営業地域も、平成七年一月三一日現在のそれとおおむね同じ範囲と評価することができる。

(6) 一方、被控訴人については、平成三年七月一日から平成四年六月三〇日までの事業年度においては、売上は約一一億円であり、本社の売上は約八億円、志摩営業所の売上が約三億円となっている。売上の内訳は、本社については、卸が約七億五〇〇〇万円、小売が約五〇〇〇万円、志摩営業所については、卸が約五〇〇〇万円、小売が約二億五〇〇〇万円となっている。

商品別にみると、被控訴人においては、飲料水(ジュース、お茶等)が主力商品で、特に夏場は飲料水の売上の比率は三〇%ないし四〇%に達する。

(7) 前記のように、昭和六〇年ころから、控訴人の扱う商品の範囲が拡大するのに伴い、被控訴人と控訴人との間で、商品の競合が発生するようになり、昭和六三年ころには、飲料水(商品名でいえば、ポカリスウェット、オロナミンC、ウーロン茶、コーラ、ジュースなど。)、調味料(醤油など)、米等において商品が競合し、それに伴い問題が発生するようになった。

すなわち、被控訴人は、昭和六三年ころ、その主要な取引先(卸先・当時の年間取引高約二億円)である牛虎チェーンから、有限会社万屋薬品が被控訴人の支配会社であると誤認され、ウーロン茶等の飲料水を被控訴人が牛虎に卸している金額よりも安い金額で控訴人を通じて販売しているとの強い非難を受け、納入価格の見直しを迫られ、いくつかの商品については取引を打ち切られてしまった。被控訴人は、控訴人がそれらの商品を販売する価格が、被控訴人がメーカーから仕入れる値段よりも安いことも多く、控訴人が原価を割った値段で販売していることもあると判断している。

平成三年には、通常の小売価格が二八〇円ないし三〇〇円の醤油を、控訴人が約三分の一の一〇〇円の価格で販売したことから、被控訴人は牛虎を始め各取引先からクレームを受ける事態となった。そこで、被控訴人は控訴人に抗議と善処を申し入れた。

そして、被控訴人は、各取引先からこの種のクレームを時々受けた。

また、平成四年初めころには、控訴人が小俣店において、販売には免許が必要な本みりんを販売したことから、被控訴人は税務署から、被控訴人が控訴人にこれを販売させているのではないかと疑われ、問い合わせを受けた。

小売の関係でも、特に志摩営業所においては、控訴人がチラシをまいた直後には、そのチラシを持参して安い飲料水等を被控訴人営業所へ買いに来る消費者が跡を絶たない状況である。また、電話で注文を受けたのに対し、商品を届けた際に先方が控訴人と混同して被控訴人に注文したものであることが判明した例もある。そして、この種の混同は多い状況である。

また、本来別会社であることが分かっているはずの控訴人及び被控訴人双方に共通する取引銀行からさえも、控訴人と間違えた事務連絡を受け、それにより被控訴人の業務が混乱したこともあった。

さらには、控訴人の取引先が、控訴人宛の書類を、間違えて被控訴人に送付してきた例もあり、また間違い電話も少なくない。

(二) 右認定の事実に、前示の控訴人及び被控訴人双方の営業内容、営業地域、各商号相互の類似性を併せると、控訴人が、控訴人の営業地域において周知性のある被控訴人の商号と類似する商号を使用することにより、両社が親子会社、系列関係あるいは緊密なグループ関係にあるものと取引先や一般消費者に誤信させ、営業主体について混同を生じさせるおそれがあり、そしてこれにより被控訴人の営業上の利益が害されるおそれがあるものと認めるのが相当である。

4 以上によれば、控訴人の商号(「株式会社万屋薬品」)の使用は、控訴人の営業地域において広く認識されている被控訴人の商号(「万屋食品株式会社」)と類似の商号を使用して被控訴人の営業と混同を生じさせるおそれがあり、そしてこれにより被控訴人の営業上の利益を害するおそれがあるものと認められるから、他にその請求を妨げられる事由のない限り、被控訴人は控訴人に対し、新法二条一項、三条一項(旧法一条一項二号)に基づき、控訴人の右商号使用の差止め及び商号登記の抹消登記手続を請求することができるものというべきである。

5  信義則違反ないし権利濫用(控訴人の抗弁)の成否について

(一) 証拠(甲五四、乙二七、乙四七、原審証人山本康隆、原審における被控訴人代表者畑中幹生、原審における控訴人代表者畑中玲子、当審証人畑中玲子)によれば、次の事実が認められ、乙四七、原審における控訴人代表者畑中玲子の供述及び当審証人畑中玲子の証言中この認定に反する部分は採用できない。

(1) 康隆と玲子は昭和三七年に結婚し、そのころ康隆は玲子及び幹生の母の「ちよ」と養子縁組をした。康隆は当時薬品問屋に勤めていたが、結婚を機に被控訴人に勤務するようになった。その後、康隆は、当時同人が持っていた薬種商の免許を利用して、玲子とともに薬店を開業することを計画し、幹生に相談した。幹生は、これに賛成し、康隆の希望を容れて、「万屋」の名称を含む「万屋薬品」という商号を使用することを許諾するとともに、被控訴人の倉庫を改造して店舗として提供するなど、経済的な援助も行った。

なお、幹生は、康隆及び玲子に対し、「万屋薬品」の営業について薬品を中心にして行うよう希望しており、その時点においては、後に「万屋薬品」(有限会社万屋薬品、現在の控訴人)が被控訴人と競合する商品を扱うようになるとは考えていなかった。

(2) 昭和五七年ころから、石熊が万屋薬品の販売戦略等について助言をするようになり、それにより売上が次第に伸びていったことを契機として、石熊を経営に関与する形で万屋薬品を法人化して「有限会社万屋薬品」が設立されたが、同会社設立にも幹生は相談に与り、その設立にも同意した。そして、石熊は、玲子とともに同会社の代表取締役に就任し、本格的に同会社の経営に参画することになった。

(3) 石熊が有限会社万屋薬品の経営に関与した後、石熊のリーダーシップにより、同会社は店舗を次第に増加させ、その売上も増加して行った。それに伴い、玲子は同会社の仕事に没頭し、康隆の身の回りの世話をしなくなり、同人との夫婦としての生活を全く顧みない状態となった。また、康隆を始め周囲の者らも次第に玲子と石熊とが不倫関係にあると考えるようになり、他方では、康隆の生活も乱れ、同人に女性関係もでき、結局これらが原因で、康隆と玲子の夫婦仲は極端に悪化し、昭和六二年には誰の目にも夫婦関係の破綻が明らかとなった。

そこで、玲子は昭和六二年秋ころには、子供の助言もあって康隆との離婚を決意し、康隆に離婚を申し入れた。康隆は、玲子と離婚すれば必然的に被控訴人会社も退職せざるを得なくなるものと考えて悩んだが、結局離婚もやむなしと判断し、玲子に対し、離婚の条件として、控訴人の「万屋薬品」という商号は康隆と玲子の二人のために被控訴人から借りたものだから、離婚することになれば「万屋」の屋号を返し、商号を変更するようにとの条件を提示した。そして、康隆は、幹生を入れた話合いの席でもその話しをし、幹生も玲子に対し、離婚となれば、「万屋」の屋号は返してもらわなければならない旨求めた。

これに対し、玲子は、離婚したいとの気持ちが強かったこともあって、康隆の提示した条件に同意し、幹生に対し商号の変更を承諾した上、両名は昭和六三年一月五日離婚の届出をして離婚をした。

(4) 玲子は、当初は幹生に対し、「万屋」の屋号を返す方法として、増店するたびに名前を変えていくなどと言っていたが、一向に実行しないので、幹生らはたびたび玲子に対し控訴人の商号を変えるよう申し入れていた。これに対し平成三年には、玲子は幹生に対し、「有限会社万屋薬品」を株式会社に組織変更することになったが、その時に社名を変更するからそれまで待ってほしい旨述べていた。

そこで、幹生の側ではそれを待っていたが、平成四年四月になって、控訴人のチラシで既に右組織変更が行われたことを知るに及び、控訴人に右約束を任意に履行する意思はないものと判断し、被控訴人は同年七月控訴人に対し本件訴訟を提起するところとなった。なお、有限会社万屋薬品の組織を変更して控訴人が設立されたのは平成三年九月三〇日であるが、被控訴人は、右のとおり翌年四月になってチラシでそれを知るまでは、玲子ないし控訴人からその点について何の連絡も受けていなかった。

(二)  右認定の事実によれば、被控訴人代表者の幹生は、法人化前の「万屋薬品」及び「有限会社万屋薬品」の商号使用についてはこれを許諾していたものであるが、この許諾は、身内の人間である康隆・玲子夫婦が薬店を経営するについて行われたものであり、被控訴人代表者幹生と薬店の事業主体である康隆及び玲子との間に前認定のような縁戚関係があること、ないしは「万屋薬品」又は「有限会社万屋薬品」の事業がそのような縁戚関係にある身内の者の事業であることが当然の大前提になっていたものと認めるのが相当である。したがって、幹生と縁戚関係にない石熊が経営者として同会社の事業全体に大きな影響力を行使している状況の下において、玲子と康隆とが離婚して、康隆が有限会社万屋薬品から完全に無関係になるという事態に至った場合には、康隆及び玲子が幹生から「万屋」の名称の使用の許諾を受けた趣旨が損なわれ、右の大前提が失われるに至るものということができるから、幹生及び康隆が、右離婚に際し、玲子に対し「万屋」の名称の返還、すなわち「万屋」の名称を含む商号の変更を求め、その使用の許諾を撤回したことは、十分了解することができるものというべきである。そして、有限会社万屋薬品の代表者であった玲子は、康隆との離婚に際し、商号に関する康隆の条件を受け入れ、被控訴人代表者である幹生に対し商号の変更を約したのであるから、結局、控訴人がその商号変更を拒むことが信義に悖るとの評価を受けることはあっても、被控訴人が控訴人に対しその商号使用の差止めや商号登記の抹消登記手続を求めることが信義則に反したり、権利濫用に該当することはないというべきである。

よって、控訴人の右主張は理由がない。

二  むすび

以上の次第で、被控訴人の主位的請求は理由があり、これを認容した原判決は相当である。よって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官水野祐一 裁判官岩田好二 裁判官山田貞夫)

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